先日「集団援助活動」についての研修に行ってきました。
講師は山崎 清治 先生
この先生は無人島学校なんていうのもやっておられるそうです。
どんなことをしているのか、ホームページを見てみると、簡単にいうと、
1週間 米と調味料のみを持ってどう生きながらえるか見たいなキャンプです。
無人島だから当たり前かもしれないけどえっ?ってなりますよね。
1週間って大人でもまあまあ長いと思うんですけど、
参加者は小学一年生から中学生の部や、高校生の部、大人の部とかもあるみたいです。
今回の研修では、集団活動をする上で、指導者が、どう関わるかという研修ではあったのですが、
根本的には無人島学校で学ぶことと同じような生きる力をいろんな集団生活でも学べるよう関わっていくとう内容でした。
なるほどなるほど、頭ではわかっていてもついつい自分の子には・・・
それは講師の先生も同じなんですと言っていました。
例えば人見知りのお子さんがいるとします。
知らない人とは話せないのです。なんていう保護者の方がいます。
でも、それはいつも親御さんが近くにいてサポートしてしまうから成り立ってしまうということを
気がついているでしょうか?
いくら人見知りの子であっても、日本語が理解できれば何らかのアクションはできるはずです。
例え1.2歳児の子であってもそれは同じです。
目の前におもちゃが3つあります。でもそこには6人の子供がいたとします。親は周りにはいません。
そんなときどうすると思いますか?
1人1つのおもちゃに手を伸ばしたとしたら3人は手にすることは出来ません。
横取りする、泣き叫ぶ、一緒に遊ぶ?
言葉を理解しているなら「貸して」ということや、喧嘩して取り合うなんてこともするかもしれません。
このようにしてやりとりをしていくうちに言葉を発しなければ自分の要求を通すことができなくなるのです。
人見知りは自然と無くなっていくでしょう。
しかし、大人が周りにいるとつい、「順番に使いましょう」「ジャンケンで決めなさい」
「大きい子は譲ってあげましょう」なんて言葉を使いがちです。
でも、それって最善の解決法ですか?
順番、ジャンケンなどをして当たり前を作ってしまうと、子どもは自分で考えるということをしなくなってしまうのです。
子どものうちに自分で考えて決断をするという些細な出来事も、
大人の当たり前の言葉に選択させられ自分の発信ができにくい子供になってしまうそうです。
今は便利なようですが、ITが進みネット検索すれば、ほとんどの答えが見つかってしまう時代です。
しかし、それは自分の考えや気持ちが含んだ考えができているでしょうか?
自己決定ができる子になると、自分で決めた選択に責任を持てる子になるそうです。
親に言われて始めた習い事、嫌になったら「だからやるの嫌だったんだよ」
なんて言い訳を言い出します。
しかし、自分で始めたいと言い出しそのときに何でやりたいかを聞いて始めさせたら、始めた時のことを思い出し
同じ嫌でも言い訳をすることをしないそうです。
身近な話で、家に3つ入りのヨーグルトがあるとします。うちには2人の子供がいるので、1つずつ食べました。
次の日1つ残っています。上の子が残りのヨーグルトを冷蔵庫から出すと、下の子が食べたいと言い出しました。
親としては、つい「お姉ちゃんまた買ってきてあげるから今日は譲ってあげなさい。」なんて言ってします。
でもこれって上の子は納得すると思いますか?なんでお姉ちゃんだから譲ってあげなきゃいけないの?って
なりますよね。
このとき、1つしか残ってないけどどうする?と聞く余裕が親にあれば、「半分ずつ食べる」とか
「今日は譲ってあげるから次の残りは私に頂戴ね」などお姉ちゃんだからという当たり前の理由でなく、
自分が譲ってあげたいからという自己決定ができたかもしれませんよね。
今回の研修を受けて、今の時代1人で何でもできることが増えている時代ですが
集団生活の中で生きることで学ぶことの大きさをとても感じました。
ついつい当たり前のように使っている言葉にも気をつけて自身の子供や勤務先の子供たちと接していきたいなぁ
と感じる1日となりました。